みにまるなひげ

引っ越しの多いミニマリスト漫画家「ひげ羽扇」のブログ。


【読書】年に6週間だけ働くミニマルな暮らし。「森の生活(ウォールデン)」【メモと感想】

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2008年発行(原書1854年発行)の回想録「森の生活(ウォールデン)」(ヘンリー・デヴィッド・ソロー著/神原栄一 訳/グーテンベルク21 刊)を読みました。

著者はアメリカの思想家、博物学者。

自然と調和した本質的な生き方を、行動で実験、実践した人です。

 

人間生活の必需品は、正確には食物、住居、衣服、燃料の数項目に分類できるだろう。(本書より)

 

本書は上記の考えのもと、著者が1845年からの2年2ヶ月間、ウォールデン池のほとりに自力で建てた家で、食糧も燃料も自給自足しながら生活した、実験と観察の記録です。

借りた斧で木を切り倒すところから始めた家の建築の詳細や、自分で育てた作物の内訳、食事内容、かかった費用、自然を味わう日々、孤独を愛する中での人との交流など、時には日記のように、時には詩的に、たっぷりと語られています。

当時の学生が1年間の部屋代として払っていた額よりも安く持ち家を建て、労働したのは年6週間だけ。あとはのんびり好きなことをして過ごしていたというのだから素敵です。

印象的だった部分のメモと感想をまとめました。

自力で建てた家の概要。

著者ソローが自力で建てた家の概要は以下。(1フィートを30cmとしてざっくり計算しています)


・1845年3月ウォールデン池のそばの森。借りた斧で、自分の家を建てるためのマツの木を切りたおすところから開始。

・4月中頃に骨組みができ、5月に棟上げ、7月に住み始めた。

・こけら板葺き、漆喰塗りの家。

・間口10フィート(3m)、奥行き15フィート(4.5m)。柱の高さ8フィート(2.4m)

・屋根裏部屋、押し入れ、両側に1つずつ大きな窓。

・2つの落とし戸、一方の端に戸口、その反対側にレンガの炉。

・建築費は、使った材料分は普通価格で支払い、板を得るために小屋を4ドル25セントで買い取った。

 

家を建てるのにかかった費用は合計28.125ドル。

当時、ケンブリッジ大学(現在のハーバード大学)の学生の部屋代は、著者の部屋よりわずかに広い程度で年に30ドルだったのだそう。

 

こうして私は、風雨をしのぐ場所が欲しい学究は、彼が現在毎年支払っている家賃を出ない出費で生涯のすみかを持てるものだ、ということが分かった。(本書より)

 

自分でジャガイモやトウモロコシなどを育て、余ったものは売り、他に最小限の労働(測量や大工など日雇い)をして、必要最低限の収入を得ていた著者。(学校の経営もやってみたものの、収入以上に支出がかかったり、相応の服装や準備に時間が取られて失敗だったとのこと)

衣類にかかるお金や臨時の支出も、その収入内でまかなえたのだそうです。

2年間の経験から分かったこと。

2年間の経験から次のことを学んだ。人間は質素な生活をして自作のものだけを食べ、自分の食べるだけしか作らず、作った物をわずかばかりの贅沢で高価な品物と交換などしなければ、数ロッド(1ロッドは約25.3平方メートル)の土地を耕作するだけで事足りること(本書より)

 

2年間の経験から、北の緯度のこの土地でも、自分に必要な食糧を手に入れるには信じがたいほどわずかな労力しかいらないこと、人間は動物と同じく簡素な食事で十分で、しかもそれで健康と力を保持できるものであることを学んだ。(本書より)

 

5年以上、私はこうして自分の手による労働だけで自活した。
そして、1年に約6週間働けば、全生活を賄えることが分かった。
冬の全期間と夏の大部分を自由にそっくり勉学に使うことができた。(本書より)


1年間の生活に必要なお金は約1ヶ月半の労働で稼ぎきって、残りの10ヶ月半は好きなことをして働くも良し、思いっきり遊ぶも良し、ただ休むも良し。なんと最高な時間の使いかたでしょうか。

なぜわれわれはこうもあわただしく生きて、人生を浪費しなければならないのか?

なぜわれわれはこうもあわただしく生きて、人生を浪費しなければならないのか?空腹になる前から餓死するものと決め込んでいる。

今日の1針は明日の10針、などと言う。そして、明日の9針を節約するために今日千針を縫う。

〈仕事〉の方はどうかといえば、何も重要な仕事などしていない。(本書より)

新聞で記憶すべきニュースを一度も読んだためしがない。

確かに私は新聞で記憶すべきニュースを一度も読んだためしがないように思う。(本書より)


1845年当時から既にそうだったんだな、と。

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森の生活と孤独について。

ひどく暗い憂鬱症などは、自然のど真ん中に住んで、感覚をまだ持っている人間にはありえない。(本書より)

 

森で過ごした期間、著者は一度として寂しいと感じたこともなく、孤独感にしめつけられたこともなかったそうです。

大部分の時間を独りで過ごすのは健全なことだと思う。最も善良な人とでも、一緒にいればやがて飽きがきて散漫になるものだ。

私は独りでいるのが好きだ。孤独ほど親しみやすい友を持ったことはない。

自分の部屋に引きこもっている時よりも、外に出て人中にいる時の方が、たいていの場合孤独なものである。(本書より)

 

私自身も1人で過ごすほうが好きなタイプなので、「人といる時のほうが孤独を感じる」という考えにとても共感します。

簡素な生活をすれば、強盗というものもなくなる。

書類を入れる机以外は錠もかんぬきもかけなかったし、掛け金とか窓にさす釘一本すら用意していなかった。

何日か留守にすることもあったが、昼夜とも入口の戸に施錠したことは一度もない。

(中略)私は、もし人々がみな当時私のしたように簡素な生活をすれば、盗みや強盗はこの世のことではなくなるものと信じている。

それらは、十分以上に持てる者がいる一方で、事足りるだけ持たぬ者もいる社会にだけ起こるのだ。(本書より)

 

森の生活をしている間、著者の家には友人知人含め、いろんな来客があったようです。ときには森に散歩しにきた人がひと休みしていたことも。

机の上の本を楽しむ人も、戸棚の中の食料を見られることもあったそうですが、自由にさせていた著者。

あらゆる階級の人たちがやってきたが、小さな本一冊の他は、なくなった物はないそうです。

玄関の鍵も部屋の窓も開けっぱなしというのは日本でも田舎あるあるですが、たしかに家主に共通していたのは、「盗られるものは何もないから」という、警戒心のない明るいゆるさな気がします。

嗜好品のために働かなければならなくなる、不毛さ。

釣りの最中に雷雨に遭い、近くの小屋で雨宿りをした著者。そこにはアイルランド人夫婦とその子ども数人が住んでいました。

雑談の中、労働と苦しい生活に疲れている様子の彼らに対し、暮らし向きをよくする役に立てば、と助言します。

 

私はお茶、コーヒー、バター、牛乳、新鮮な肉などいっさい口にしないから、そうした物を買うために働く必要がないこと、

またそれほど仕事に精を出さないから、それほど食べる必要もなく、食費はほんのわずかですむこと、

彼がお茶とかコーヒーとか牛乳とか牛肉とか言い出すから、その支払いのため懸命に働かなければならなくなり、懸命に働くから身体の消耗をおぎなうのにふたたび懸命に食べる必要があること、

だから結局働いても働かなくても同じだと言うこと……いや、始終不満足な状態にあるし、おまけに命を磨り減らすことになるから、じつはかえって損であること、などを話して聞かせた。(本書より)

家を快適な状態にしておくという、非常に高価につく努力。

家事がどこで始まるものか、毎日のように見た目にこぎれいに、きちんとし、家を快適な、あらゆる悪臭や目障りな物のない状態にしておくという非常に高価につく努力がどこから始まるかが私に分かりかけた。(本書より)


この不毛な努力(しかもみずから物を増やして、家事の手間まで増やしている)に近年私もやっと気づき、手入れが必要な物をどんどん手放すようになりました。

家になくても困らない物を、今まで掃除したり大事に収納していたのかと思うと、たしかに「非常に高価につく努力」です。

手間も汚れも少ない食事。

少量のパンと2、3個のジャガイモだけでけっこう間に合うものであるし、その方が手間も汚れも少くてすむだろう。

同時代の多くの人たちと同じく、私も長年の間、肉、茶、コーヒーなどはめったに口にしていなかった。そうした物を有害と認めていたためというよりも、むしろどうも気持が悪かったからだ。

肉食に対する嫌悪は、経験の結果ではなく、ひとつの本能的なものであった。(本書より)

 

肉食は最近減らし気味とはいえ、まだ美味しいと思っているほうなのですが、調理時の手間や汚れ、本能的な違和感については共感します。

食物の本当の味を識別する者は決して大食漢でありえない。

食物の本当の味を識別する者は決して大食漢でありえないし、識別できない者は大食漢以外ではありえない。(本書より)

仲間と歩調が合わなくても、自分に聞こえる音楽に合わせて歩を進めること。

なぜ成功しようとそんなに死にもの狂いに急ぎ、そんなに死にもの狂いに物事を企てなければならないのか?

仲間の者と歩調が合っていないのなら、それはたぶん仲間が聞いているのとは違う鼓手の打つ太鼓の音を聞いているからである。

太鼓の調子がどうであれ、またどんなに遠くから聞こえてくるものであれ、自分に聞こえる音楽に合わせて歩を進めることだ。(本書より)

新しいものを得ようと躍起になって心を煩わすことはない。

衣服でも、友人でも新しいものを得ようと躍起になって心を煩わすことはない。

【感想】思わず目指したくなる充実のワークライフバランス。

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200年も前に、家を自力で建てるところから自給自足を試した人の経験談は貴重です。

自然と働きすぎになりがちで、それをわかってはいてもやっぱり働き過ぎてしまう日本人にとって、あこがれるワークライフバランスです。断捨離を始めた2015年頃から、結構真面目に目指しているバランスでもあります。

ちなみに、「家は自費として、土地代はどうしたのか」という問題ですが、師であるエマソン氏(思想家。「自然」の著者)がウォールデン池のほとりに土地を購入しており、そのエマソン氏の好意で、その一部を使わせてもらうことになったのだとか。

私たちが日本で実践する場合、固定資産税含め、その他税金も必要にはなりますが、それ以外のガス、電気、水道、食料、衣類、家を自給自足できるなら、年に6週間だけ働くミニマルな暮らしも可能そうです。

街のガスや電気や水道が途絶えても、家、水、食料、燃料に心配がない安心感って格別な気がします。

無理して毎日労働しなくても良いと聞くだけでも気持ちがラクになるけれど、それだけでなく、「買わなくても自分で作ることができる」のは「生きる安心感と自信」になって素晴らしいと感じます。

いろんな出版社で翻訳されているこの「森の生活(ウォールデン)」。それだけ読み継がれてるし、関心ある人が居続けてる証拠でもあります。

著者はインド哲学を非常に愛好したとのことで、食や物欲についてなど、たしかに通ずる表現がちらほら見られます。

ときどき著者の詩的表現が盛り上がり、こちらが置いていかれる部分もあるのですが、そんな中にハッとする表現や考え方が出てくるので油断ならない一冊です。