みにまるなひげ

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【読書メモと感想】節食健康法の名著「無病法」。40代で生死の淵→少食を続け102歳まで健康に生きた男の手記。

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少食健康法の古典的名著「無病法 極少食の威力」(ルイジ・コルナロ 著/中倉玄喜 訳・解説/PHP研究所)を読みました。

ルイジ・コルナロは16世紀イタリアを生きた貴族で、西欧で最も有名な長寿者です。

暴飲暴食の末、30代でさまざまな成人病をわずらい、40代にして生死の淵をさまよった著者。

医師の最後の忠告によって極少食を続けてみたところ、病気が完治。

その後も病気とは無縁。短気だった性格は穏やかになり、102歳まで健康かつアクティブに生ききって、最期は昼寝するように安らかに息を引き取りました。

本書は、ルイジ・コルナロが、節食の健康法の素晴らしさについて体験をもとに書き残した手記です。  

この手記を書いて配り始めたのが83歳だったというのもまた驚きです。

最先端科学による老化治療について書かれた本「ライフスパン 老いなき世界」の中で紹介されており、気になって読んでみた一冊です。

私が少食を実践するきっかけになった一冊でもあります。

参考になった点の読書メモと感想をまとめました。

「無病法」目次。


コルナロの人物像と、コルナロが「極少食の威力」について語り残した講話の概要が簡単に紹介されている「はしがき」に始まり、

講話1:食を節することの重要性について(83歳の時)
講話2:虚弱体質を改善する最良の方法について(86歳の時)
講話3:幸福な老後を獲得する方法について(91歳の時)
講話4:長寿を約束する節食の薦め(95歳の時)

 
という4つのコルナロの講話がまとめられています。

各講話の後には訳者・中倉玄喜さんによる解説文があり、ルイジ・コルナロの逸話や、現代の日本人が少食を実践する場合の要点が語られていて、これもまた参考になります。

生死の淵から極少食開始。1年後には健康体に。 

若い頃に暴飲暴食を続けた結果、40代で病により生死の淵をさまよった著者は、長年彼を診ていた医師団から最後の宣告をされます。

 それは、普通われわれがいうところの少食なるものを、量的にさらに最小限にまで減らした食事ーー「極少食」ーーに徹する以外、もはや助かる見込みはない、というものであった。(「はしがき」より)

 
観念したコルナロが言われた通りにすると、数日もしないうちに回復し始め、しばらくすると本当に病が完治。

 

そればかりか、1年後にはさらに完全な健康体となったうえに、性格的にもそれまでの怒りっぽさが消えて、まったく別人のようになったのだ。(「はしがき」より)

 

ルイジ・コルナロの健康ビフォーアフターと極少食の威力もすごいのですが、「極少食」に助かる可能性を見出していた医師たちもまたすごいです。 

致命的な事故による大怪我も完治。

同じ健やかでも、一般的な少食の人とコルナロ流の「極少食」の人とでは、健康の質が異なるとのこと。

食の多少による影響がわかるコルナロの2つの体験について以下のように語られています。

あるとき馬車に引きずられるという大事故にあって、全身に大怪我をしたときのことである。

このときコルナロは、医師たちが施そうとしていたいっさいの処方を断り、いつもの極少量の食事をつづけただけで、その怪我を完全に治してしまった。(「はしがき」より)

 
このとき、医者たちは「命は4日も持たない」と考えていたとのこと。

もうひとつは、コルナロに対し、友人や医師など周囲の人たちが「栄養不足が心配なのでもう少し食べるべきだ」としきりに言うので、彼らを喜ばせたい一心で食事の量をごくわずかだが増やしたときの話です。

ところが、すぐに体調がくずれ始めたばかりか、なにやら気分も変わって、昔の短気なところまで出はじめる始末。

そこで、ふたたび従来の食習慣にもどったところ、とたんに体調は回復し、気持ちももとのように快活な気分にもどったのであった。 

医師から言われた守べき鉄則。 

コルナロが医師から言われた守るべき規則は以下。

 

「食べ物にしても飲み物にしても、通常病気のときにしか摂らない物をとり、しかもこれらをごく少量にかぎって摂るべきである」(「講話1」より)

 
コルナロが実践したところ、数日後には自分に合ってるように感じ、1年経たないうちに末期的だった全疾患が消え、以来再発なしとのこと。

「極少食」のほかに気をつけたこと。 

働きすぎ、異常な暑さ寒さ、悪い空気のところに長時間いることなど、極端なことは避けてきた。

また、憂鬱、憎しみ、その他の否定的な感情をいだかないよう注意することにも努力してきた。

なぜなら、否定的な感情というものは、心身にきわめて由々しい影響をあたえるからである。(「講話1」より)

 

ただし、「飲食の規則を守っていると、その種の不快な情念はほとんど生じない」とも語っています。

コルナロの「極少食」食事量。 

極少食を実践していたコルナロが、周囲から心配されて仕方なく食事量を増やしたときのエピソードに、食事内容と量の詳細が書かれています。

 

それまでパンと卵の黄身、少しの肉、それとスープ、これらを1日総量で正確に 

12オンス(約350グラム)摂っていたところを
14オンス(約400グラム)に、

また飲み物(ワイン)についても、

14オンス(約400cc)であったものを
16オンス(約450cc)まで、それぞれ増やしたのである。 (「講話1」より)

 

上記のように10日後には不機嫌、憂鬱、12日後には脇腹に激痛が22時間続き、発熱も。それが連続35日間続いたとのこと。

そして15日以降は熱が退き始めたものの、それまでほとんど眠れず死の淵をさまよったそうです。食事の量を戻したら快復したとのこと。

メニューをほんの数品に限ったり、この量にしたのは、生来胃が非常に弱いからだと書かれています。

解説によると、コルナロはこのメニューを2度に分けて摂っており、1食あたりレトルトパックご飯ひとつと、缶コーヒー1缶ほど。十分に咀嚼することも大事なようです。

また、コルナロは「古いワインは合わないが新しいワインは合う」と語っており、量や内容はやはり個人差があるとのこと。

老齢でも心身ともに健康体で活動的。

なんの助けもなく馬に乗ることができるし、階段はいうまでもなく、山にもやすやすと登ることができる。気分はいつも陽気で、心が曇るようなことは一時もない。生への倦怠や生活の疲労など、私にはまったく無縁である。

1日の内かなりの時間を見識ゆたかな人々との間の楽しい会話で過ごし、それ以外のときには、良書を友としている。そして読書を味わった後は、ペンをとっている。執筆こそ世の中にもっとも役に立つことだと思っているからである。

以上のようなことを、私は高貴な都市パドヴァのもっとも美しい地区にある快適な邸宅において行なっているのである。

(中略)昔の豪華な食事より今の質素な食事の方を心から好んでいる。〜また、眠りも快適である。どこであろうとすぐに熟睡でき、しかも見る夢はすべてどれもが楽しいものばかりだ。(「講話1」より)

 

公私に渡って充実した人生を送ったコルナロは、実際に事業支援や論文発表など、国家の繁栄に寄与し、公職として近隣都市の行政長官も務めていました。

趣味も異文化交流も家庭も孫にも恵まれ充実しており、自分で設計した庭園など建築物の一部はパドヴァ市に今も残っているとのこと。

「ダ・ヴィンチやミケランジェロより有名だった」というのも驚きです。哲学者フランシス・ベーコンも、エッセイの中でコルナロの食生活を讃(たた)えているそうです。

空腹のときには体の修復が進む。

コルナロ式の1日2度の「極少食」は胃にきわめて優しい。ぎゃくに、総量は比較的少なくても、回数が多い食事の仕方は避けなければならない。

食事の合間に冷水や清涼飲料水、冷えた牛乳やアイスクリームなどをしばしば飲んだり食べたりすることもこれに入る。 

(中略)食べ物の消化と体内の代謝(修復)とは反対の関係にあり、一方が休んだときに、他方が働きだす。だから、空腹なときには、血液がいま自分の体を修復してくれているな、と思うとよい。(解説より)

「極少食」と頭脳の関係。

 血液の酸性化はストレスによってももたらされる。したがって、ストレスから体をまもる「極少食」の習慣は、健康な血液性状の維持にもつながる。

そしてその影響は、情緒の面だけではなく、思考力の面でもあらわれる。すなわち、頭脳が衰えるようなこともない。(解説より)

アカゲザルによる「飽食」と「節食」の実験結果。

解説にて、38匹ずつのアカゲザル2組による実験について書かれています。

一方は「飽食組」とし、他方は30%カロリー制限した「節食組」に。そして、彼らにとって老年にあたる20年後に比較調査した結果が以下。

 

その結果、まず外見では、節食組の方が非常に若々しかったのにたいし、飽食組の方はひどく老けていて、人間でいうとほとんど青年と老人のような著しい違いが見られた。

生存率についても、節食組の方が飽食組より約1.6倍と高く、また、死亡したサルのうち、飽食組にはガンや糖尿病、脳萎縮や心臓病などが多くみとめられたのにたいし、節食組には自然死が多く、病死は飽食組の約3分の1に過ぎなかった。(解説より)

歳とともに食事の量を減らす。 

老人の1日には、卵1個の黄身と少しのパン、それにスプーン数杯のミルクで十分である。

それ以上になると、病気や苦痛が生じ、天寿を損ないかねない。(「講話2」より)

飽食のまま健康に長生きしたケースへの反論。

 「好きに飲み食いして健康に長生きし100歳に至ったものもいる」という反論について、コルナロは以下のように語っています。

 かれらの主張には、ふたつの誤りがある。ひとつは、統計的に、そうした幸福にめぐまれた者は、5万人に1人もいないということである。

またもうひとつは、そのような稀なばあいでも、最後にはなんらかの病気にかかって亡くなっているということである。(「講話2」より)

1日1食でも、満腹は禁物。

1日1食とはいえ、その食事を満腹するまで食べた人で長生きした人を、私は知らない。(「講話2」より)

食事の内容についてのアドバイス。

私のばあい、パンと卵の黄身、スープまたはパン粥、それと肉や魚を少し、かわるがわる数種類食べている。

私のような境遇とちがって、経済的に肉や魚を食べる余裕がない人たちのばあいは、全粒粉から作ったパンとパン粥、卵、それに野菜を食べていれば、それで十分である。(「講話2」より)

 

ちなみに解説によると、コルナロが食べていた肉や卵は、狩りや放し飼いで得られた純粋に自然なものだったそうなので、現代の私たちがこのメニューをそのまま実践すればいいというわけでもなさそうです。

基本的に世界共通の「最善の食生活」。

 基本的に世界共通の、最善の食生活として、以下が挙げられています。

それは、自分が住んでいる土地でとれる穀物や野菜を中心とした食事、すなわち「身土不二の原則」にしたがった「穀菜食」のことである。(解説より)

長寿郷フンザの食生活。

参考として、長寿郷フンザの食生活について解説されています。

朝食はチャパティ(全粒粉の小麦から作ったパン)に野菜とラッシー(フンザ独特のヨーグルト)を添えた簡単なもの。 

昼食は季節の果物とお茶を飲む程度。

そして夕食は朝食とほぼ同じ内容の食事、という実質的に1日2回の食事である。

肉食はほとんどなく、ときに岩塩を用いるほかは調理に味付けもない。

なお、朝飯まえの野良仕事から始まって、長い坂を往復しながら、食事のとき以外は終日畑ではたらき、自然に汗を流す生活である。(解説より)


補足として、1920年に、健康なシロネズミを1000匹ずつ3グループに分け、それぞれフンザ食、インド食、イギリス食を与えて人間寿命の50歳に相当する27ヶ月飼育し、病理解剖して比較検討した実験の話が添えられています。
 
フンザ食は「チャパティ、もやし、生人参、生キャベツ、生牛乳(殺菌していない)」、インド食は「米、豆類、野菜、肉など、調味料を使って料理したもの」、イギリス食は「白パン、バター、ミルク、砂糖入り紅茶、野菜の煮付け、缶詰の肉、ハム・ソーセージ、ジャム、ゼリーの類」です。 

結果、フンザ食グループは全ての鼠が例外なく健康。インドは多くの例で腫瘍や脱毛、心臓病などみとめられた。イギリスはインドと同じような異状のほか、神経系までおかされて凶暴化し、互いに噛み殺し合う地獄絵だったとのこと。

この種の実験は数多く行われていて、どれも同じような結果が報告されているそうです。

現代日本人にとって理想的な食生活とは。 

(植物性食品)
・未精白穀物(玄米、麦、トウモロコシ、蕎麦、全粒パンなど)、約50%
・野菜・海藻類・果物・木の実・発酵食品(納豆、味噌、漬物など)約40%

(動物性食品)
・魚介類(小魚、エビ、貝類などの全体食)10%未満
*大型海洋魚の切り身や缶詰などは除く

(普段の食生活ではできるだけ避けるべきもの)
・肉類(獣肉、鶏肉、ハム、ソーセージ、ベーコンなど)
・砂糖、卵、牛乳、油、ヨーグルト、チーズ、クリーム、バター、マーガリン、精製塩、化学調味料、これらを材料とした菓子類その他、油脂や添加物や塩分の多い食品、アルコール類、甘味料入りの飲料水など。(解説より)

91歳、コルナロの日々の過ごし方。

世の中に役立つテーマについて日に8時間も書きものをしていることや、また、それ以外の時間には散歩したり、歌をうたうことを楽しんだりしている(「講話3」より)

 

引きこもらず、自分が楽しいことで誰かの役にも立つことを実践する、ストレスのない生き方を大事にしているようです。

節食の効果を得るには、自分に合った適量を守ること。

私とちがって、強い体質にめぐまれた者たちは、私のように量を極端に少なくする必要はないかも知れません。量の点では、一人ひとりがそれぞれの体質に応じて決定すべきものでしょう。

どれくらいがもっとも適切な量であるかは、食欲や願望からではなく、自分の経験と観察、それに理性にもとづいて、各自が判断すべきことです。

そしてしかるべく決定してからは、それを厳格にまもり通さなくてはなりません。なぜなら、その後ときどき度を過ごすようであれば、節食の効果というものは、ほとんど上がらないからです。(「講話3」より)

節食に加えて不可欠な習慣は「日々歩く」こと。

老齢でもひとりで馬に乗れるほど健康で活動的だったコルナロですが、解説でも、節食に次ぐ不可欠な習慣として「日々よく歩くこと」と書かれています。

 

夕食後少しも動かず、そのまま床につくことは体に非常に悪い。要注意である。戸外で肉体労働に従事している人の場合も、例外ではない。

(中略)ちなみに、夕食後の散歩には、抜け毛が少なくなることや、目の下のくまやたるみ、顔のシミなどが歩かない人にくらべてずっと出来にくいといった効果もある。(解説より)

 

盛大に不健康なところから始まっているので、ビフォーアフターの比較がわかりやすくていい。

 

感想:私が少食を実践するきっかけになった本です。

人が「長生きしたい」というとき、そこには「健康なまま」という思いもあるわけです。

本書「無病法」を知ったきっかけの一冊「ライフスパン 老いなき世界」では、遺伝子ごと若返るサプリが紹介されていましたが、ケミカルなやりかたよりも自然なもののほうがベストと思う私。この本は自然でした。

著者はそれを実現し、しかも「なぜかわからないけど健康に長生きできてた」といった曖昧な話でなく、具体的な方法や体験が書かれているので参考になります。

それに加えて、「暴飲暴食の末、若くして生死の淵をさまよった」ところから、「極少食の末、病気が治って健康に長生きした」という、極端なビフォーアフターなので、その変化がわかりやすいのもポイントです。

 

なお、この講話は、つとめて短いものとした。過去の経験から、短い書き物の方が多くの人々に読んでもらえることが分かったからである。(「講話2」より)

 

と著者も書いているとおり、各講話はそれぞれ短くて読みやすく(解説を入れても全115ページという薄さです)、訳者による解説も現代日本人はどうすればいいのか、医学研究による根拠とともに具体的に書かれていて刺激を受けました。

「少食本の元祖」「古典名著」と言われているので、この和訳本もかなり昔のものなんだろうなと思って読み始めてみたら、2012年発行でした。そのぶん解説の情報が新しかったのも良かった点です。 

私自身、断捨離を始めた2015年から少食や腹八分が基本の食生活になっているので、読んでいて納得しやすい一冊でした。

もともと噛む回数が多くて食べるのが遅いのですが、それは良い点だったんだとわかりました。

運動について、コルナロは8時間執筆する生活を送っていましたが、解説者は「長時間座らずたくさん歩くこと」と書いています。

私自身、だるさや眠気、活力、明晰さ、血流などが気になっているので、他の少食実践本もいろいろ参考にしながら、さっそく1日2食の少食と散歩を少しずつ実践してみています。

サプリなどの人工的なものはいまいち馴染まず、あれこれプラスするより引き算するのが好きな私にとって、自然食とりつつ量を減らすのはすごくしっくりくる考えです。自然との共存の大切さを説く「アナスタシア」にも通じる考えだと思います。

やっぱり、大切かつ濃厚な知識は古典に詰まってるんだな、と感じた一冊でした。

 

 

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